ロンボク島で考えた「劇場型」という言葉

ヒンドゥ文化のバリ島の東わずか50kmにあるロンボク島はイスラム文化圏であり、インドネシアでは15世紀までがヒンドゥ教と仏教中心、15世紀以降にイスラム化が進みました。 劇場国家とは、祭儀の日がハレの日でそれ以外の日常はケの日であるという考え方の元に、祭儀こそが国を成立させる条件であり、国王が主催主、僧侶が監督、庶民が脇役、舞台装置係、観客を分担する劇場のように機能する上下階層のない国家を指します。 現代政治でも大衆の支持を得るためには劇場型政治になりやすく、マスメディアもニュース性を高めるためには犯罪報道すら劇場化させ、他人の不幸を喜ぶ人間の本性を利用したコマーシャリズムをとります。

ジャワの神秘信仰と日本の八百万の神

16世紀から17世紀に中部ジャワで隆盛を誇ったKerajaan Mataram(マタラム王朝)がジョクジャカルタのSultanとスラカルタ(ソロ)のSusuhunanに分裂しました。 ジャワの土着信仰であるkejawenは日本の八百万の神に近いもので、山や川など自然界の霊的スピリットを感じ取り、パワーを吸収しようとするものです。 日本人の気質が八百万の神という土着信仰から醸成されてきたとすれば、似たような土着信仰であるkejawenを信仰してきたジャワ人の気質と似通ったものになるはずですが、せっかちな日本人とのんびり屋のインドネシア人という違いは、厳しい冬を前にきっちりと農作を終えないと春を迎えられない日本人と、年中米やフルーツが取れて飢え死にする心配がいらないインドネシア人という、気候の違いが生み出す時間軸に対する感覚の違いに起因するものと思われます。

Pizza HutとFitsa Hats

インドネシアではネットでの話題という意味でミーム(meme)という難しい言葉が日常的に使われますが、夏目漱石や森鴎外のような文豪が、外来語をインドネシア語に置き換える作業をしてくれなかったため、無理やり英語の波に飛び込む環境に入らざるを得ず、幸か不幸か現代インドネシア人の英語能力の高さに繋がっています。

悪魔祓い

人間誰しも自分の中に悪魔が潜んでおり、それが何らかのきっかけで表面に出て来るという考え方自体には、背景に宗教が有るか無いかの違いだけで、基本的に理解できる話であり、それを信じるか信じないかは別として、そういう考えがあることを認めることは大切なことだと思います。

インドネシア人部下が優秀だと日本人上司は間抜けでいられる

マウンティングの本来の意味は哺乳動物が交尾する際に、オスがメスに馬乗りになることですが、相手が他人と比較して優越感に浸っていることをマウンティングと表現する場合、自分が自意識過剰、被害妄想なんじゃないかと疑ってみる必要があります。 考え方が違うからそこに誤解が生まれ、誤解に対する感情の持ち方も人それぞれ違うから喧嘩が発生するわけで、そこで歩み寄って新しい人間関係を築いていくか、決別するかの選択をすることこそが社会生活というものだと思います。

宗教の違いによる価値観の差をどこまで許容できるか

スハルト大統領退陣後の民主化以降、インドネシアではイスラム政党が第1党になったことが1度もなく、BHINNEKA TUNGGAL IKA(多様性の中の統一)を国是とするインドネシアのイスラム社会では、世界最大のイスラム人口を抱えながらも、政治と宗教のバランスが絶妙に保たれています。

だいたい相手は聞きたいのではなくてしゃべりたいと思っている。

沈黙は金という言葉に価値があるのは日本だけで、インドネシアではシャイで寡黙な人は単にSombong(傲慢)な人と誤解されますので、若干勇気を出しておしゃべりしたほうがいいです。 寡黙なのはシャイなだけであって、基本人間相手の話を聞くよりも自分でしゃべりたいのであって、仕事の打ち合わせでも、相手の信頼を得るために自分の専門知識を披露して「どうだ、すごいだろ」みたいなのはマイナスになり、相手は自分でしゃべって思いのたけを吐き出してそれを聞いて欲しいと思っている可能性が高いです。 そういう意味でストレスの多い現代社会では相手の話を聞いてあげて心のケアをする心療内科が医療として重要になるのではないかと思います。

嫁さんの信仰に乗っかって有名賛美歌バンドのコンサートに行ってみた。

インドネシアのキリスト教徒はカトリックとクリスチャンに分かれますが、礼拝に行けばどっちも必ず賛美歌を歌います。 カトリックの賛美歌はパイプオルガンの伴奏の中で厳粛かつ荘厳な雰囲気の中で祈るように歌うのに対して、クリスチャンの賛美歌はテンポのいいノリノリの曲や、ロマンチックなバラード調が多く、英語の歌詞を意識しなければ宗教っぽさは感じません。 ウーピー・ゴールドバーグ主演の「天使にラブソングを」でゴスペルが一躍有名になりましたが、世界的にはアメリカンポップっぽい現代的な旋律の歌が流行のようです。

普段は敢えて考えないようにしている宗教について

日本人がインドネシアで一番最初にぶつかるカルチャーショックは宗教に関するものだと思いますが、どんな宗教でも自己中心的でなく相手の考えを尊重するということが共存のための前提条件です。 そして祈ることで心が落ち着くのであれば、それは理屈抜きですばらしいことだと思います。

インドネシア人は日本人より生活力が高いということ。

インドネシアでは収入とか教養とかよりも重要なのは生活力であり、生活力を測るには組織を出て独立したときに、いかに生活の手段を確保できるかということです。 その点ではインドネシア人はアパート賃貸収入、株式投資、フリーランスの仕事など、本業以外にサイドビジネスを持っており、日本人より生活力が高いと思います。

心臓に毛が生えたインドネシア人のずうずうしい転職活動を応援してみた。

インドネシア人は秘密の話は誰かに暴露しないと精神の安定を保てない人が多いため、内緒の話に情報の希少性は少なく信憑性も低いことが多いので、「ここだけの話」という枕詞付きで聞かされる話は話半分に聞いておいたほうがいいかもしれません。 インドネシア人の転職活動は人材派遣を通すかJobsDBやJobStreetで自分で探すかというのが定番ですが、大企業や銀行などはコネがないと履歴書(Curriculum Vitae=CV)すら見てもらえない場合があります。

インドネシアのカトリックとクリスチャン

インドネシアのキリスト教徒は一般的にカトリックとクリスチャンと分類されますが、クリスチャンとは正確にはKristen Protestanであり、プロテスタントの人は自分を「クリスチャンです」と言います。 16世紀以前から存在するのがカトリックに対して、ルターが宗教改革で偶像崇拝を禁止し、金を払えばすべて免罪されるという商業主義的な免罪符を廃止したことによって新しく出来たのがプロテスタントです。 旧約聖書とはイスラエルの民の歴史であり、ユダヤ人は新約聖書を受け入れておらず、神はイスラエル人を選び、彼らを用いて全人類を救おうとされました。 旧約と新約「約」とは神と人間との契約です。

男でおしゃべりなヤツはろくなもんじゃないという話。

情報の希少性は政治的に優位に立とうとする場合にしばし利用されますが、自分が価値があると信じている情報が相手にとって必ずしも価値があるとは限りません。 内緒話はインドネシアではあっという間に伝わるので、話半分に聞いておくほうがいいかもしれません。

インドネシア人に見習いたいところ

僕はインドネシアに来てから結構年月経ちますが、その中で「インドネシア人ってスゴい」と思っていることがいくつかあります。これは僕の経験の範囲での感覚ですし個人差もあると思いますが、「日本人と比べると一般的にはこうなんじゃないか」「これは見習いたい」と思う点です。

インドネシアでの組織の活性化

日本的経営の特徴である企業別組合、終身雇用、年功制であり、この制度によってマルチプレイヤーを育て、組織の幹を太く強固にしてきましたが、これが可能であったのは右肩上がりの成長という大前提があってのことでした。 これが低成長期に入ると、かつては組織の成長に対する功労者であった人が逆に負担となる理由は、個人の特殊性が平面方向に広がりすぎてしまったせいで、低成長という外的要因を克服するための組織全体の活力が薄くなりがちになるからです。 横に広がりすぎるとピンポイントに必要な能力が低下し、低成長期に時代の切り札となりうるような成長エンジンが点火しにくくなるんだと思います。 小規模な組織の中で組織の活力を最大化するには、個人が得意な分野で能力を発揮させて、それでもって組織全体でバランスが取れている状態だと思います。

自分の部下の性格と行動から理性と感性の葛藤について考えた。

感性中心で動く者は強い感性が弱い理性を邪魔するので、理性中心で動く者の話を理解できたとしても納得まではできません。 一方で理性中心で動く者は感性中心で動く者の話を理解も納得もできませんので通常、ここで喧嘩が発生します。 理性中心で動く人と感性中心で動く人が妥協するには、理性中心で動く者が感性中心で動く者に対して妥協するしかないと思います。

オフショア開発から見た日本とインドネシアの関係

オフショア開発は先進国の会社が人件費の安い海外に開発委託することであり、2014年の名目GDPは日本が世界第4位、インドネシアが第16位ですが、2024年にはインドネシアが日本を逆転するとも言われています。 そうなったとき日本企業がインドネシアでオフショア開発するという現状が逆転している可能性は十分ありますが、日本の蓄積された資産や技術力をインドネシアの若年労働人口のレベルアップに繋げるようなビジネスの育成こそが日印の理想的な共存共栄の姿だと思います。