インドネシア政治・経済・社会

インドネシアの海外直接投資誘致を目的としたオムニバス法【宗教と既得権益で保たれるインドネシアの政治バランス】

2020/08/25

インドネシアへの国別直接投資順位で日本は第4位まで落ち込みました。オムニバス法は雇用や許認可という投資環境を改善し海外直接投資を呼び込み、国内で付加価値を付けて川下産業で競争力のある製品にすることで国際的なサプライチェーンに乗ることを目的としています。

イスラム急進団体である「212同窓会」とイスラム擁護戦線(FPI)

昨日7月16日、国民議会DPR(Dewan Perwakilan Rakyat)前で212同窓会(PA212=Presidium Alumni 212)やイスラム擁護戦線(FPI=Front Pembela Islam)などのイスラム団体、労働者、学生による大規模なデモがあり、機動隊(Pasukan Anti Huru-Hara)はバリケードを張りウォーターキャノン砲で応戦し、警察は催涙弾を発射してデモ隊を後退させ、衝突が落ち着いたのは夜になってからです。

DPR前デモ隊の要求
1. Makzulkan Jokowi(ジョコウィ大統領弾劾)
2. Bubarkan PDIP(闘争民主党解散)
3. Tolak RUU HIP & Tangkap Inisiator(パンチャシラ法案拒否と主導者の逮捕)
4. Tolak RUU Omnibus Law(オムニバス法拒否)
5. Batalkan UU Corona(コロナ法の撤回)
news.detik.com/berita/d-50956…

ここでいうイスラム団体の1つである212同窓会とは、2016年9月に当時のジャカルタ特別州知事だったアホック氏(Basuki Tjahaja Purnama)がプラウスリブ(Pulau Seribu)の住民の前で行ったスピーチの中で『ユダヤ教徒とキリスト教徒を指導者としてはならない』とするコーランの一節があるせいでイスラム教徒はクリスチャンである自分に投票できないという趣旨の発言をしたことが宗教冒涜に当たるとして、2016年12月2日にアホック氏の身柄拘束を求めて、イスラム原理主義団体であるFPIと共に20万人規模の大集会を主催したイスラム団体です。

宗教の違いによる価値観の差をどこまで許容できるか

2016年11月アホック知事糾弾デモのためHI前広場に終結した白装束のFPI

2017年4月17日のジャカルタ州知事選挙PILKADA DKI JAKARTA(PemILihan KepAla DAerah)では、当時のアホック知事を破った現職アニス知事を、グリンドラ党(Partai Gerindra)やFPIと共に支援し、アホック知事を刑法(Hukum Pidana)に基づいて起訴し、DPRでHak Angket(調査権)を発動しろと要求しました。

国民協議会MPRから国民議会DPRへの立法権の移行 【インドネシア憲法UUD(Undang-Undang-Dasar)が基本】

三権分立のうちの立法権がMPR(Madjelis Permusjawaratan Rakyat)からDPR(Dewan Perwakilan Rakyat)に移ったのはメガワティ政権時であり、ニュースでMPRという言葉自体を聞く機会が減りました。

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知事選で敗れたアホック氏は宗教冒涜罪で起訴され、2017年5月9日に禁固2年の有罪判決を受け東ジャカルタのチピナン拘置所に即日収監され、収監中の2018年4月に妻のフェロニカさんと離婚し、2019年1月24日に釈放後に前妻フェロニカさんの警護を務めていた元警察官ププットさんと再婚したときは、アホック氏ひいきだった多くの支援者も、吉本新喜劇並みにずこっけたことは想像に難くないわけですが、2019年11月に国営石油会社プルタミナの監査役に就任し、初任給は170jutaだったなどと未だにゴシップネタの対象となっています。

都市開発の波に飲まれるジャカルタの闇の文化【ジャカルタ州知事選挙とカリジョド 】

在任期間中に汚職摘発などで多くの目に見える成果を出したアホック知事が今回の選挙で負けたことにより、イスラム冒涜というレッテルは未だに選挙で効果があることが証明されました。

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(2021年8月追記)
政府は2020年12月にFPIの強制解散させ活動全般を禁止し、中央ジャカルタ・プタンブランにある本部を閉鎖。インターネット上の発信なども含め、徹底して取り締まる方針を発表しました。

デモの争点となったオムニバス法、パンチャシラ法案、コロナ法

昨日のデモのイスラム団体は明確にジョコウィ大統領弾劾(Makzulkan Jokowi)と闘争民主党の解散(Bubarkan PDIP)を主張しているわけですが、その理由がDPR提出済みのオムニバス法、パンチャシラ法案、5月に法律として成立済みのコロナ法案の3つです。

労働者が反対するオムニバス法(RUU Omnibus Law)

今年2月にジョコウィ大統領がDPRに提出済みのオムニバス法案は、労働法と税制面での規制緩和、行政許認可の簡素化など、企業の投資促進とそれに伴う雇用の創出を目的としており、企業側にとっては投資や事業継続のための追い風となる法案ですが、現行労働法で守られている労働者の権利を死守しようとする労働団体が同法案に反対しています。

産業構造を変えるための国家優先的取り組み事項をプロジェクトとして実現していこうというメーキングインドネシア4.0を推進するために、法人税を現行25%から2025年までに段階的に20%まで引き下げることで、税制面から事業が継続しやすい環境を支援し、巨大な国内市場を背景に海外からのハイテク産業の投資を呼び込むことで、国内で付加価値が創出できるようになり、長年の一次産品輸出国からの卒業を目指すという目的がありますが、国内の労働団体は製造業への外資誘致が優先され、労働法で保護されている労働者の権利が軽視されることを危惧しています。

インドネシアの産業の川下化と製造業の高度化
インドネシアの産業の川下化と製造業の高度化【インダストリー4.0への取り組み】

IT技術を使い生産性と品質の向上に繋げ、経済成長率を現在の5%から6~7%まで押し上げることを目標としたメーキングインドネシア4.0は、産業構造を変える国家優先取り組み事項であり、産業の川下化により原料輸出を禁止し国内で付加価値を付けることによる産業の高度化を目指します。

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イスラム団体が反対するパンチャシラ法案(RUU HIP)

1945年に起草された憲法の前文にある建国5原則パンチャシラ(Pancasila)を一言でまとめたのが有名な「多様性の中の統一(BHINNEKA TUNGGAL IKA)」であり、イスラム人口が9割を占める国で、政宗分離、政経分離を実現することでイスラム強硬派勢力と他宗教や民主化勢力との対立を抑えてきた国家イデオロギーの柱ですが、近年インドネシアにて宗教の不寛容さや経済格差が顕著になってきたとしてパンチャシラの精神を再度徹底しようというのがパンチャシラ法案(RUU HIP=Rancangan Undang-Undang Haluan Ideologi Pancasila)であり、先月6月のDPRに最大与党である闘争民主党(PDIP)と同じく与党グリンドラの議員が提出し2020年中に成立させようとしましたが、インドネシア最大のイスラム系組織であるナフダトゥル・ウラマー(Nahdlatul Ulama=NU)やインドネシアのハラール認証機関であるインドネシア・ウラマー評議会(MUI=Majelis Ulama Indonesia)やなど主要なイスラム団体の反対にあい、審議は既に延期されています。

  • いつでも審議できる法案をコロナ禍の今何故?
  • 法案の根拠を示す文献一覧に、共産主義の禁止を明記した1966年の暫定国民協議会決定を記載していない。政権が共産党(PKI)復活を目指しているのではないか?
  • メガワティ氏が最高顧問の「パンチャシラ精神発展委員会」が建国精神に合わないと判断した法律の改正を大統領に要求できメガワティ氏の権力強化に繋がるのではないか?

ジョコウィ大統領は、政府による新型コロナウイルスへの対応が後手に回っていることに対して先月末の閣議で閣僚に対して激怒する動画を公開するも、逆に責任転嫁していると批判され見事に空振りに終わってしまい、今はイスラム保守派とも自身の所属政党である闘争民主党とも関係悪化は避けたいところですが、イスラム保守派としては1965年の9月30日事件でクーデターを主導したインドネシア共産党(PKI=Partai Komunis Indonesia)が、闘争民主党党首メガワティ氏の父親である初代大統領スカルノ氏の最大支援組織であったことから「ジョコウィ政権(闘争民主党)=親共産党」るというレッテルを貼り付けて2024年の大統領選と総選挙に向けて影響力を強めたいのかもしれません。

福祉正義党PKSが反対するコロナ法(UU Corona)

今年5月にDPRはPerppu Corona(法律代行政令Peraturan Pemerintah Pengganti Undang-Undang)を法律で承認し、正式にコロナ法(UU Corona)となりましたが、福祉正義党PKS(Partai Keadilan Sejahtera)は同法案が憲法の「法の下の平等」に違反する可能性があるとして承認しませんでした。

  • DPRによる予算策定の権限がはく奪されるのでは?
  • 政府がコロナ対策予算のすべてを提供する保証がないのでは?
  • コロナ禍で経済的に影響を受けた労働者、解雇(PHK)された従業員、非公式経済部門(Sektor Informal)の労働者の保護への取り組みが記載されていないのでは?

この福祉正義党PKSは2016年のアホック州知事弾劾運動を主導し、2017年4月の大統領選挙でのプラボウォ氏を支持してきたイスラム保守派政党で、ウマラー(Umara 宗教指導者)とウンマ(umma 宗教共同体)に近いイスラム政党として、ジョコウィ陣営を支持したグレース・ナタリー氏率いるインドネシア連帯党(PSI=Partai Solidaritas Indonesia)を、SNSによる情報戦の中で「PSIはLGBT容認の政党」を印象付けることでジョコウィ候補側にダメージを与えました。

コロナ禍によるインドネシアでの貧困率と犯罪率の増加【物理的な移動制限がもたらす経済へのマイナス影響】

新型コロナウィルス感染拡大防止のために発動された、大規模社会制限PSBBによる物理的な移動制限は、経済活動へマイナス影響を及ぼすと同時に、貧困率と犯罪率の増加を招いています。

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日本からインドネシアへの直接投資が減少した理由はコロナ禍だけでなく投資環境自体の問題

先日のジェトロ主催のウェビナーでの投資調整庁(BKPM)担当者の話では、日本からのインドネシアへの投資額が落ちており、通常はシンガポールについで日本は2位であるのに、2020年の第2四半期ではシンガポール、香港、中国、日本、韓国の順になっていました。

2020年第2四半期のインドネシアへの海外直接投資(FDI=Foreign Direct Investment)実績額(BKPMウェビナー資料から)

地域別ではジャワ島への投資が全体の50%弱を占め、中でもTol(高速道路)沿線に工業団地が連なる西ジャワ州への投資が最も多くなっています。

本日、在日インドネシア大使館と投資調整庁主催による「新世界経済パラダイムの中のインドネシア:あなたの最高の投資先」という日本人投資家向けのウェビナーで、ルフット(Luhut)海洋・投資担当調整大臣やBKPMのバフリル(Bahlil)長官などから、インドネシアのマクロ経済戦略と政策、投資環境の改善状況について説明がありました。

BKPMも「2019年まで日本の直接投資額はシンガポールに次いで2位だったのに4位にまで順位を下げたのはコロナ以外にも理由があるんじゃないか」「投資環境そのものに問題がある」という認識を持っているようで、中国から他国への移転を検討している140社近くの企業のうち日系企業が21社あり、相対的に土地や人件費が高いというインドネシアの投資環境の問題を解消するために、中部ジャワのBatang工業団地を開発中であり「土地も人件費も間違いなくベトナムより安い、認可もBKPMがサポートすることで短期間で下りるようになる」と力説していました。

中国からの移転を検討中の企業の中で移転先としてのインドネシアの優先順位(BKPMウェビナー資料から)

インドネシアの景気後退期での経済活動再開【製造業の脱中国化の受け皿というチャンス】

製造業の脱中国の受け皿としてインドネシアがベトナムに劣る点は、賃金割高、土地割高、投資手続が複雑という3つですが、インドネシアも中部ジャワのBatangに工業団地を造ったり、オムニバス法で投資環境を改善したり海外直接投資を増やす努力をしています。

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「インドネシアの投資環境の障害は土地・認可・雇用の3つあるが、日本企業は技術とお金を持ってさえ来れば、あとはBKPMがすべてサポートする、空港にも迎えにいくから」というバフリル長官の言葉から、ベトナムやカンボジアなど投資誘致先国としてのライバル国を意識しているのが伝わってきました。

【KBRI投資ウェビナー】
ルフット大臣
・オムニバス法で雇用と税制の改善
・ニッケルバッテリーの将来性
・川下化推進、原料輸出はしない
BKPM長官
・日本からの投資が2位から4位へ落ちたのは何で😲
・投資の障害は土地・認可・雇用
⇒技術と金を持ってくれば全部お膳立てする、空港にも迎えに行く❤️

オムニバス法案の進捗状況

海外からの投資を呼び込むための国内投資環境の整備の目玉であるオムニバス法案は、雇用創出 (CiptaKerja)に関するものと租税 (Perpajakan)に関するものの2つから構成され、現在も国会DPRで連日継続審議中であり、8月施行を目標としていたが現実的には9月または10月にずれ込むようです。

(2020年10月追記)
10月5日にオムニバス法案(UU Cipta Kerja=雇用創出法)は可決されましたが、インドネシアの法律は頻繁に法改正することを前提として草案のまま可決される傾向があり、オムニバス法自体が国民の反応を見ながら法改正(修正)を加えて行くことになることが予想されます。

雇用創出に関するオムニバス法(経済特区へのライセンス認可の簡素化)

  • ライセンスの簡素化
    立地許可は統一された一つのデジタル地図を使用し、リスクベースのアプローチ(目的の達成を阻害するリスクを洗い出しそれらの影響を明確にした上で対策を講じ目的達成の可能性を高めるアプローチ)に基づいて判断されます。
  • 投資要件
    投資重点分野の新たな優先順位リストを作成し、投資ネガティブリストを現在の20業種から6業種に簡素化し、外国からの投資に対する開放性を向上させる。
  • 行政
    地方規制と中央規制の重複を簡素化するために権限の一元化を図る。
  • 企業に自由度を与える就業規則
    最低賃金は1年未満の労働者にのみ適用、長期勤務の給与は8ヶ月分を上限、政府は失業者のための職業訓練プログラムも準備、外国人労働者の使用は特別な要件の下で許可する。(2020年10月追記)
    ここがインドネシアの雇用関係の聖域とも言える労働法UU No 13 Tahun 2003(労働に関するインドネシア共和国法律2003年第13号)の改正であり、退職金の減額(現行最大32カ月分⇒ 最大25カ月分)と経営側の裁量による最低賃金の設定(国の実質経済成長率とインフレ率の和 ⇒ 経営側が各州の経済成長率またはインフレ率に沿った最低賃金を設定)が盛り込まれています。
  • ビジネスのしやすさ
    最低資本金IDR 50Milyarの撤廃、就労ビザやビジネスビザの取得を容易にする、特許権者のための柔軟性、金属産業の川下化プログラムへのインセンティブ制(報酬)。
  • 研究・イノベーション支援
    国家イノベーションの対外貿易政策支援製品、研究開発と技術革新のための国有企業と民間企業のための特別な割り当て。
  • 制裁
    行政法の制裁措置と刑法の制裁措置の差別化、汚職に対する刑事罰。
  • 土地調達を容易にする
    地域の土地から利用可能な土地への変更が早い、土地変更許可の延長がより簡単、開発中のランドバンク。
  • 投資と国家戦略プロジェクト
    ソブリンウェルスファンド(政府が出資する投資ファンド)の設立、国家戦略プロジェクトに必要な土地の提供、国家戦略プロジェクトに必要なすべての許認可の提供。
  • 経済圏
    経済特区管理者はライセンス、サービス、インセンティブ、ビジネスのしやすさなどを行う権限を持つ、自由貿易と自由港地帯。
  • 中小企業へのインセンティブ
    MSMEのために使用する移転資金の優先順位。

租税規則の改正に関するオムニバス法

  • 所得税の軽減
    法人税:25%(現行)⇒22%(2021~2022年)最終的に20%(2023年)、配当金(Dividend)は非課税。
  • 領土内所得課税の適用
    多国籍企業の配当金は、インドネシアに投資する限り、非課税。
  • 国内税の適用
    インドネシア人が183日以上海外で働くと該当国の国内税が課せられる可能性があり、183日以上インドネシアで働く外国人にはインドネシア国内税が課される。
  • コンプライアンスを高めるための規制
    制裁の調整を行い、コンプライアンス違反の罰金の利息は2%(24ヶ月間)から相場に調整する。
  • デジタルサービスへの課税
    従来の事業体への課税と同様のデジタルサービスへの課税を調整、インドネシア事務所を持たない多国籍デジタル企業も課税対象となる。
  • 税制優遇措置
    タックスホリデー、税務手当、経済特区などの税制優遇措置を一つのクラスターにまとめる。

産業の川下化によって付加価値のある製品を生産

ニッケルに加工して付加価値を付ける川下化のイメージ(BKPMウェビナー資料から)

ルフット大臣がオムニバス法以外にインドネシアへの投資の魅力を強調していたのが鉄やニッケルなど金属鉱物の川下化(downstreaming)であり、インドネシアはニッケルを原料とする電気自動車用(EV=Electric Vehicle)バッテリー製造の海外企業を誘致し、生産拠点化を目指しています。

国内で加工し付加価値を付けて川下産業で国際競争力のある製品にすることで「インドネシアは国際的なサプライチェーンに乗る」「原料の輸出はもう嫌だ(Tidak mau)」という言葉が印象的でした。